あまでうすに学ぶ科学領域

大学院生の雑記。たまに数学、機械学習。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』第1章

『私の性格的に、無理だと思うわけだが…。』

 

 

今回は論理哲学論考についてですね。

 

本来ならハイデガーの『存在と時間』を解説するべきなのでしょうけれど、長編でなかなか食指が進まないんですよね。

 

それに私は科学はともかく哲学は専門じゃないので、話半分に聞いてくださいね。

 

 

論理哲学論考は命題が箇条書きにつらつらと書いてある哲学書です。

 

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 

 

哲学書の様で、数学書の様な側面もありますね。

今回はそれの第1章の部分を紹介、解説します。

 

第1章

1  世界は成立していることがらの総体である。

1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。

1.11    世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。

1.12  なぜなら、事実の総体は、何が成立しているのかを規定すると同時に、何が成立していないかをも規定するからである。

 

 

 

どうしても数学書を読みなれていると、日本語で数学っぽく書いてある文章は違和感がありますね。それに定義文に出てくる言葉全てに説明があるわけではないので、そこが一番苦労するところかもしれません。

 

例えば、1.1世界は事実の総体であり―― とある文は、じゃあ事実って何なの?と気になって仕方がありません(本書の後半の解説にはしっかり載っています)。

 

 

1.13 論理空間の中にある諸事実、それが世界である。

1.2   世界は諸事実へと分解される。

1.21 他の全てのことの成立・不成立を変えることなく、あることが成立していることも、成立していないことも、ありうる。

 

 

解説

 第1章はとても短く、上記の文章が全てになります。

全然論理については出てきていないのですが、この手の学術書は論理展開していくための土台を作るのが常ですよね。第1章はそれにあたります。

 

1と1.1から、ウィトゲンシュタインは世界にあふれる全てを文章化して考えようとしているのでしょうか。その方が広く一般化されていますもんね。

世界={海、山、人、…}

みたいに物を列挙していくだけだと、物質化されていないものは挙げることができませんし、また、過去に存在して今現在ない物などは表現の仕様がありません。

世界={海がある、かつてウィトゲンシュタインが本を書いた、AはBだけを愛している、…}

のように全てを文章化することで、ものの存在は当然言えますし、それ以上に広い定義をすることができますね。

 

 

1.11は単に上記の世界において書き漏らしがないという事を述べています。

 

1.12については、意味の重複を含めて全ての事実を挙げて世界を構築するという気持ちがあるのかと思います。

例えば先に述べた世界の構成元で、

「AはBだけを愛している」

と書きましたが、 これは

「AはC,D,E,…を愛していない」

 という意味も含みます。

これにより、事実を1つ述べることで、それと排反となる事象を挙げることが可能であり、結果それらは事実の全てを作り上げると言えます。

 

1.13 解説によれば、あることがらが現実に起こり得るかどうか、その論理的な可能性の総体が「論理空間」であると記述されています。詳しい説明は3章以降にあるそうです。これによると論理空間とは、言わば論理の全体集合の様なものでしょうか。

人は歩く。

人は走る。

人は飛ぶ。

これらは全て論理的な可能性の一部です。論理は作ろうと思えば、真偽はともかくたくさん作れそうですね。そして世界とは、その中でも現実に起こっているものを集めた集合だとこの命題は述べているのです。すなわち

人は歩く。

人は走る。

の様に事実をかき集めていって(人は飛びませんから除きます)作り上げられたものが世界だと言っているのですね。

 

1.2 諸事実により作られたものが世界であるので、世界は諸事実に分解されます。

 

1.21 これは世界ではなく論理空間における話でしょうか。ことがらの独立性を表していますね。(私から言わせてもらえば、ダイバージェンスの起こらない、事象が収束する世界線の分岐でしょうか。)例えば、

晴れた日に秋葉原に行ってパソコンを買って神社にお参りをした。

晴れた日に秋葉原に行ってスマホを買って神社にお参りをした。

の様に、一つだけ事象を変えたとしても、他の行動に全く影響を及ぼさない場合は無数に考えられるということをここでは述べています。

 

 

以上で第1章の解説は終わりです。なかなか言葉の定義が難しかったですね。

第2章からはより論理学的な言葉遣いがたくさん見られます。

機会があればまた解説しますね。

 

 

世界線を越えて会いに来て』

 

 

血液型診断は当たるのか

今回は血液型診断についてお話しますね。

 

どうして日本人ってこういう診断が好きなのかしらね。

みんな自分が何者なのか、どういう人間なのか知りたい欲求があるのかしら。

 

フランス版血液型性格診断

A型は几帳面だとか、O型はおおらかな人だとかいうのは皆見慣れていると思うから、今回はフランス版の血液型診断を紹介しますね。

 

A型:メロディ型

五線譜の上を上下する音符の様に落ち着きがない、むら気な性格。楽天的で誰とでもすぐ仲良くなるが、気分の波は激しく、ちょっとしたことでも突然怒る。

 

O型:リズム型

自分のリズムで行動するのを好むタイプ。リズムによって、行動してから考える猪突猛進型になったり、あくまでもマイペースの独立独歩型になったり、自分の思い通りにならないと気が済まない負けず嫌い型になったりする。

 

B型:ハーモニー型

調和を好む性格である。グループの中に溶け込んで生活するのを好む。その意味では社交的である。ただし、自分が気に入ったグループでなければならない。この好みはうるさいので、時には頑固でもある。

 

AB型:複雑型

A型とB型の両面を持っている複雑型。この型の人は、自分でも自分の性格が分かりにくいことがある。時にA型、時にB型の性格を示すわけだからそれも当然であり、そのためかユニークな行動をとることも多い。

 

 

ちょっと簡略化して書いているのだけれど、皆さん当たってますか?

違う国の診断を見てみるのも、ステレオタイプから抜け出せて新鮮化も知れませんね。

 

血液型診断は当たるのか

結局のところ、血液型診断の信憑性は、科学の面では報告されていません。

 

ではなぜこんなに血液型診断が定着しているのかというと、数十年前に血液型と性格を関連づけた本が出版されて、それが科学的な既成事実として国民に認識されてしまったのが始まりの様です。

特に、人は先入観や偏ったイメージをもって何かを見ると、それに合致する点をより重視して見る傾向があるので、こういった診断が当たると思い込んでしまうのかもしれません。

 

血液型診断の危険

今ではBPOの要望により、TVなどで血液型診断を肯定的にすることはないそうです。

(占いとかならしばしば見かけますが、A型はこういう性格!なんてものは最近は確かに見なくなっていますね。)

それに、近頃は「ブラッド・ハラスメント」と言って、血液型の話題で相手に心理的な苦痛を与えるという事で問題になっていたりしています。

 

やりすぎは良くないみたいですね。

 

フランス型の診断、実は…。

さて、最初に挙げたフランス型の診断結果ですが、実はラベルを入れ替えてあります。

AB型はそのままですが、

ラベルOは実はA型

ラベルAは実はB型

ラベルBは実はO型

 

になっています。

当たっている!って思った人、実はあなたの思い込みだったのかもしれませんね。

 

研究では、ラベルを貼り変えているにも関わらず、自分の血液型と表記されたものを選んだ人は47.6%もいたそうです。

 

 

今回の記事は以下の本を参考にしています。

 

Newton (ニュートン) 2012年 05月号 [雑誌]

Newton (ニュートン) 2012年 05月号 [雑誌]

 

 

シュレーディンガーの猫

『何がおかしいんですか?先輩』

 

 

今回はシュレーディンガーの猫ですね。

量子力学の議論で生まれた思考実験ですが、今では創作などでも使い古されている印象がありますね。

 

ただ、この「シュレーディンガーの猫」という単語だけが独り歩きしていて、中身についてはよく知らない人、あるいは間違った理解をしている人を見かけます。

 

先輩も、ちょっと自信なさげですか?

 

そんな先輩のために、順を追って解説していきましょう!

 

 

そもそもシュレーディンガーの猫とは

「猫が箱に入っていて…毒ガスが出て…生きているのか死んでいるのかわからなくて…」

 

という状況はご存知かもしれませんね。

でも、これが何のための思考実験なのか、その目的をはっきりさせておきましょう。

 

この思考実験の肝となるのは、猫でも毒ガスでもなく「放射性物質」です。

そしてこの思考実験の目的は、「ミクロとマクロを繋げて考える」ということです。

 

 

マクロの世界とミクロの世界

シュレーディンガーの猫の思考実験をすることになった原因として、ミクロの世界では私たちが考えられないような振る舞いをすることがあります。

 

1つの例としてよく挙げられるのが、二重スリット実験です。

これは高校の物理などでも学習した人もいるかと思います。

先輩は高校物理、大丈夫ですよね?

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二重スリット

私たちが暮らしているマクロの世界においては、上の図の様な2つの隙間にボールなどを投げ込んだら、当然どちらか一方の隙間を通ってスクリーンにぶつかります。

 

しかし、ミクロの世界では、電子を1個だけ発射したとしても、図のように幾つかの縦線がスクリーンに描かれるのです。

 

これは、粒子が途中までは「波」として二重スリットを左右どちらとも通り抜け、最後に「粒子」となってスクリーンに現れる、ということを意味しています。

 

つまり粒子は、「右側のスリットを通った状態」と「左側のスリットを通った状態」という、2つの異なる状態を同時にとったと考えられるのです。

 

 

シュレーディンガーの猫の詳しい状況

先ほど記載した思考実験の状況は不十分なので、きちんと述べますね。

 

まず、外から中が見えない箱の中に猫を入れます。もちろん生きてます。

 

次に放射性物質と、放射線を検知したら毒ガスが発生する装置を箱に入れます。

なんだか物騒ですね…。

 

ここで、放射性物質放射線をいつ出すかは分かりません。ただし、放射性物質は10分間で50%の確率で放射線を出すことがわかっています。

 

このとき、先の二重スリットと同じように、量子力学の世界では、放射性物質原子核が「崩壊した状態」と「崩壊していない状態」が重なり合っているという解釈をします。

 

そして、そのミクロ特有の2つの状態が重なり合っているという現象を、マクロの世界でも体感するために、放射性物質原子核崩壊の有無と猫の生死を対応させているのです。

 

 

なぜシュレーディンガーの猫の思考実験を提案したのか

この思考実験が提案された目的はなんなのでしょうか。

 

量子力学の世界では、原子核崩壊などは「10分間で50%の確率で崩壊する」のように確率で決まる部分が数多くあります。

 

そのため原子核が崩壊したかどうかは

「意識を持った観測者が観測して初めて確定する」

「観測するまでは原子核崩壊の有無は確定しない」

と考える学者もいるのです。

 

しかし、観測しなくとも、私たちが知り得ることは無いが、原子核が崩壊している場合だって考えられるはずです。

 

シュレーディンガーもそのように考え、「観測して初めて確定する」と述べる学者に対する反論として、「じゃあ猫が箱の中にいたら生きている状態と死んでいる状態が重なり合うことになるけどこれっておかしいだろ?」 という意味合いとして、この思考実験を提案したというわけです。

 

 

また別の機会がありましたら、シュレーディンガーの猫について、もう少し詳しくお話しますね。

 

 

今回のお話は以下の雑誌を参考にしています。