ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』第1章
『私の性格的に、無理だと思うわけだが…。』
今回は論理哲学論考についてですね。
本来ならハイデガーの『存在と時間』を解説するべきなのでしょうけれど、長編でなかなか食指が進まないんですよね。
それに私は科学はともかく哲学は専門じゃないので、話半分に聞いてくださいね。
論理哲学論考は命題が箇条書きにつらつらと書いてある哲学書です。
- 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/08/20
- メディア: 文庫
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今回はそれの第1章の部分を紹介、解説します。
第1章
1 世界は成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
1.11 世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。
1.12 なぜなら、事実の総体は、何が成立しているのかを規定すると同時に、何が成立していないかをも規定するからである。
どうしても数学書を読みなれていると、日本語で数学っぽく書いてある文章は違和感がありますね。それに定義文に出てくる言葉全てに説明があるわけではないので、そこが一番苦労するところかもしれません。
例えば、1.1世界は事実の総体であり―― とある文は、じゃあ事実って何なの?と気になって仕方がありません(本書の後半の解説にはしっかり載っています)。
1.13 論理空間の中にある諸事実、それが世界である。
1.2 世界は諸事実へと分解される。
1.21 他の全てのことの成立・不成立を変えることなく、あることが成立していることも、成立していないことも、ありうる。
解説
第1章はとても短く、上記の文章が全てになります。
全然論理については出てきていないのですが、この手の学術書は論理展開していくための土台を作るのが常ですよね。第1章はそれにあたります。
1と1.1から、ウィトゲンシュタインは世界にあふれる全てを文章化して考えようとしているのでしょうか。その方が広く一般化されていますもんね。
世界={海、山、人、…}
みたいに物を列挙していくだけだと、物質化されていないものは挙げることができませんし、また、過去に存在して今現在ない物などは表現の仕様がありません。
世界={海がある、かつてウィトゲンシュタインが本を書いた、AはBだけを愛している、…}
のように全てを文章化することで、ものの存在は当然言えますし、それ以上に広い定義をすることができますね。
1.11は単に上記の世界において書き漏らしがないという事を述べています。
1.12については、意味の重複を含めて全ての事実を挙げて世界を構築するという気持ちがあるのかと思います。
例えば先に述べた世界の構成元で、
「AはBだけを愛している」
と書きましたが、 これは
「AはC,D,E,…を愛していない」
という意味も含みます。
これにより、事実を1つ述べることで、それと排反となる事象を挙げることが可能であり、結果それらは事実の全てを作り上げると言えます。
1.13 解説によれば、あることがらが現実に起こり得るかどうか、その論理的な可能性の総体が「論理空間」であると記述されています。詳しい説明は3章以降にあるそうです。これによると論理空間とは、言わば論理の全体集合の様なものでしょうか。
人は歩く。
人は走る。
人は飛ぶ。
これらは全て論理的な可能性の一部です。論理は作ろうと思えば、真偽はともかくたくさん作れそうですね。そして世界とは、その中でも現実に起こっているものを集めた集合だとこの命題は述べているのです。すなわち
人は歩く。
人は走る。
の様に事実をかき集めていって(人は飛びませんから除きます)作り上げられたものが世界だと言っているのですね。
1.2 諸事実により作られたものが世界であるので、世界は諸事実に分解されます。
1.21 これは世界ではなく論理空間における話でしょうか。ことがらの独立性を表していますね。(私から言わせてもらえば、ダイバージェンスの起こらない、事象が収束する世界線の分岐でしょうか。)例えば、
晴れた日に秋葉原に行ってパソコンを買って神社にお参りをした。
の様に、一つだけ事象を変えたとしても、他の行動に全く影響を及ぼさない場合は無数に考えられるということをここでは述べています。
以上で第1章の解説は終わりです。なかなか言葉の定義が難しかったですね。
第2章からはより論理学的な言葉遣いがたくさん見られます。
機会があればまた解説しますね。
『世界線を越えて会いに来て』